「便利」が体験を奪い、 生きる力を弱くしている?

考えすぎて動けないのは、
「体験」が少ないからかもしれない。
どうして体験が少なくなるのか?

  *

私は人がやらないことをやることが好きだ。
その体験のなかに、心身ともに心地よく生きるための
ヒントがあると考えている。

今、やりたいのはスマホを辞めること。
便利だけれど、その便利に支配されているように感じる。

いつでもお構いなしに連絡が入り、
そのほとんどがこちらが返答するのを前提としている。

「絶対返信ルール」がある訳ではないが、
返答しないという選択肢は、
社会的信頼を失いかねない
ところまできているから恐ろしい。

それならいっそスマホを持っていない
変人だというレッテルを貼られた方が
楽に生きられるんじゃないか。

人は便利が大好きだが、
それによって不自由になっているとは
考えられないだろうか。

*

2011年の震災があった後、
私は家にある一切の家電を捨て、
電気を使わない生活をしていた。
といっても、洗濯機以外だが(笑)。

原発がなければ電気が足りなくなる論があり、
本当に電気が必要なのかを確かめたかったからだ。

一人暮らしだからできたことかもしれないが、
その便利を排除した生活は、
便利とは何かを考えるきっかけになった。

私は炊飯器がなくなって初めて、
米を鍋で炊いた経験がないことに気づいた。

必要に迫られ最初はうまく炊けなかった
米も工夫を重ねうまく炊けるようになった。

手間をかけた米は、他のどの米より美味しく感じる。
手間は省くのではく、かけるものだとつくづく思う。

便利を辞めると、体験が増える。
便利がなくなると、あるもので工夫しようとする。

「体験」と「工夫」が生きる力を
強くするのではないかと考えている。

最近、雑巾が絞れない子、
マッチが擦れない子が増えているのも
関係しているのかもしれない。

便利は人から体験を奪っていく。
何かしらの理由で便利を
必要としている人もいるので
便利をなくすというのも
違うのかもしれない。

便利を無条件に受け入れるのではなく、
必要なものを選んでいくという視点が
大事ではないだろうか。

手間をかける生活は、
掃除や調理など暮らしの
一つひとつが丁寧になる。

時間がゆっくりと流れ、
心も満たされていく感じさえある。

忙しいから便利なものを使っているようで、
実は、余計に忙しくなってはいないだろうか。

家族や仕事関係の人には嫌がられるだろうが、
私が私らしくいるためにやはりスマホは辞めたい。

変人と思われたっていい。
いや、すでに思っていると突っ込まれそうだが。

 

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