目標を決めて行動することで生まれる○○感

「何かを決めてから行動する」ことが得意だったが、それをできる限りやめようとしている。もちろん仕事や責任のあることは、やめることは難しいので自身でコントロールできる範囲でだ。

例えば、朝起きる時間。毎朝5時におきて、本を読んだり、執筆したり、仕事をやったりすることが自身にとってパフォーマンスを発揮できると思っていたし、実際にそれでパフォーマンスを上げるようにしていた。しかし、前の日の夜に寝るのが遅くなったり、イレギュラーのことがあったりすると、朝予定通り起きられないことがある。1日、2日程度ならなかったことにできるが、そのうち、そもそも5時に起きること自体が苦痛になってくる。

決めたことに対して、行動できない日々が続くと、多少なりとも罪悪感のようなものが出てくる。自身のパフォーマンスを発揮するためのプランが、いつの間にか毎日が罪悪感を積み重ねるプランに変貌しているのだ。一体何をしているのだろうか。自分でも笑ってしまう。

理想的な生活リズムがあってもいいと思うのだが、そもそも朝5時に起きたいのかどうかだ。頭で考える理想とTrue selfのジョン(本当の自分のようなものだが、日本語ではうまく伝わらないのでこう呼ぶことにする)に食い違いがあるような気がするのだ。

他にも「○○すれば、ボディワークのクライアントが増やせる」と思いつくことがある。あれをやってこれをやってとプランを立てる。そこまではいいのだが、いつまで経っても実行にうつせない。スケジュールに入れても、後回しにしてしまう。毎週、毎週、今週できなかったことリストの一つとして、翌週のページに書き続けている。週が空けるたびに、わざわざ罪悪感を忘れないように書き続けるようなものだ。これではパフォーマンスを上げるどころか、気分も窮屈ではないか。

こういうことが起こるのは、ジョン的には、やる必要がない、ということなのかもしれない。もちろん仕事としてやることはやるのだが、それ以外のところでは、できるだけ身体と繋がって自身を感じて、今どうしたいのか、どうなりたいのかを確認するようにしてみている。この確認作業だが、ジョンの声が小さいのでなかなか難しい。かすかに「そんな感じがする」というものをキャッチしようとするが、しょっちゅう見逃してしまう。ジョンの声をキャッチできたとしても、それを実行にうつすのも実は難しいことが多い。思い切って今日は仕事をやめて絵を描く!みたいな声をキャッチしても思い切れない自分がいるのだ。

しかし、少しずつだが、それを実践してみると、想像もしなかったことが起こり始めている。例えば、仕事の合間に気分転換で描いた落書きが良いと言われて、Tシャツにプリントしたら、かっこいいと言って買ってくれる人がいたり、日本のオヤジを踊らせたいという想いからインスタにアップしているダンス動画から私を知ってもらった人がボディワークのクライアントとして来てくれたりして思いもよらなかった角度から仕事の依頼がくることがあるのだ。

目的を決めて進む方がわかりやすいし、道筋が見えて安心なのかもしれないが、こういうラッキーともいえる可能性が入る余地がなかったかもしれないと思うようになってきている。眉間にしわを寄せて、まっすぐ走り続けるのも時には良いかもしれないが、ジョンと相談しながら、曲がりたいときに曲がったり、立ち止まりたいときに立ち止まったりして、自身のペースで物事を進められる能力も必要なのかもしれない。効率を重視すると見えないものが増えてしまうのだろう。

そうはいうものの、どっちが良い悪いの話ではなく、両方できるようになれたら、時には偏っても、すぐにバランスを取り戻せるようになれるのではないかと思うのだ。

今、ジョンは私に絵を描くように伝えてきている。これまではボールペンで描いた落書きだったが、色を使うようにと言われているような気がする。幸い家にアクリル絵具がたくさんある。筆を買ってきてキャンパスに向かってみようか。どんな絵ができるかは自分でもわからない。